顧客はワガママなもの

その顧客にとって、その商品は「買ってもいいし、買わなくてもいい」ものです。どうしようとその人の勝手です。人によって選ぶ基準も違いますし、人によって好みも違います。

市場というものは顧客の集まりです。人の意志が集まった「結果」が市場の姿というわけです。市場というものは絶えず流動しています。それはその市場の最小単位である「人」が常に新しいものを求めているからでもあります。「価値観」は変わっていくものです。「人」ほど不確定なものはないといっても良いでしょう。その時の気分、その時の天気によってもその購買行動は変わってしまうものなのです。

その「人」に対して「人」がビジネスを行うのです。100パーセント計算できることなどは何もありません。人に対して人がビジネスを行う、人に対して人が何かを薦める、人が人を動かし、ひとりひとりの人が支払ったお金で経済が循環していくのです。ビジネスとはつまり、どこまでいっても考えるべき存在は「人」であるということです。戦う相手は「人」なのです。

そしてその顧客のニーズは時代で移り変わるものです。現代で保証された「自由」は、自分の好きなものを自分で好きに使うという「フリーケンシー」です。その振り幅は「予算」であったり、「利用シーン」であったりするでしょう。例えば「自動車免許」を持たない人に対して「車」を売ることは難しいでしょう。その人に対して「絶対免許をとってください」と強制するのもナンセンスです。その人は車が必要だとは思っていないのです。その瞬間に、相手にするべき顧客はひとり減ります。

免許の例は極端ですが、要するに「市場」は「人」の集まりではあるものの、「それを必要としている人」の集まりだということです。そして、「必要としている人」、つまり「ニーズ」の絶対量は世相によっても変わるものですし、地域によっても変わるものでしょう。必要ないと考えている人に対してどれだけ啓蒙できるかということも大切ですが、それよりも「必要」と考えている人を相手にする方がよほどいいのです。

ワガママな人の集まりである市場に対してどのように受け入れてもらうか、ワガママな人に対してどのように自社の商品を気に入ってもらうか、そのようなことを考える必要があるということです。ですが、すべての条件、人が求めるすべての希望を聞き入れることはできません。「原価」があるかぎり、「コスト」が発生しているかぎり、それは不可能なのです。

販促マンにとってそのような市場を嗅ぎ分けるチカラは絶対的に必要です。ワガママな人たちが今何を考えているのか、今何が求められているのかを考えることか絶対的に必要です。それに合わせたクリエイティブで、より反応率の高い販促物を展開する必要があるのです。それが、経営者が求める「効率」につながりますし、より多い「成果」につながるということになります。

絶えず流動する市場には、「絶対」はありません。常に動くからこそ、常にウォッチが必要であり、常に工夫が必要なのです。その中である程度のアベレージを見出し、「良い」のか「悪い」のかを判断するということも大切です。それが「仕事」であり、常に変わらない命題なのです。

↑ PAGE TOP