営業トークを体現するということ

何かを販売すること、「セールス」することには、各社がそれぞれの方法論を持っていることでしょう。対個人に対しての営業マンであれば、その「トーク」はマニュアル化され、それを実践すれば誰でも「数字」が作れるとしている場合も多いようです。

「販促」にはコストがかかりますし、インターネットがここまで普及する以前では、そのような高いコストを払うよりも売ることに特化した訓練を受けた「人」が直接モノを売る方が早いとされていた時代もあったのです。名だたるナショナル企業は広告を大量に投下し、ブランドイメージを一気に浸透させることができたのかもしれませんが、日本の企業のほとんどである中小企業にはそのような体力はなかったのです。それでもモノを売らなければ売上が立たない、売上が立たなければビジネスは破綻してしまうのですから、常に何かを「売り続ける」ということが必要だったのです。それは、今も昔も変わることはありません。

顧客に何かを提供して、対価を得るということ、そしてその対価の中からあらゆるコストを支払って、それでいてさらに利潤を残すこと、それがビジネスの鉄則です。そしてその根幹部分の「対価を支払ってもらう」ということがすなわち「買ってもらう」ということです。経済がひとつ「動く」と瞬間です。

どのような時代になっても人の「買う」という心理は変わることがありません。何かを「買う」ということは、自らの限られた収入の中から、資産を「削る」ということです。限りあるお金を削って、何かそれまでになかった新しいものを「買う」のです。それは当たり前のようでいて、実は「その価値以上のモノ」を求めているものなのです。「買う」、「お金を出す」
という心理は、人にとって一種のカタルシスでもあり、新しい自分、新しい生活に向けた第一歩でもあります。それは期待を込めた「支払い」なのです。

そのような「購買意欲」をくすぐるための「心理戦」は昔も今も変わることなく続けられています。今でこそ「訪問販売」というものは廃れてきましたが、その時にそれぞれの営業マンがとっていた「トーク」というものは、すべてが「押し売り」ではなかったのです。中には訪問販売の営業マンから、心底納得してモノを買っていた人もいたのです。「中には」ではなく、ほとんどがそのはずです。ただ、一部の無礼な営業マンが無理やり押し付けたり、半分恫喝するようにしたりして売っていたため、「悪いイメージ」が定着し、「訪問販売は怪しい」というイメージが定着してしまったのです。

その頃にモノをたくさん売りさばいていた営業マンの「トーク」は、「人がモノを買うため」のプロセスにあふれているのです。ニーズが無い人はニーズを説くということ、興味がない人に対しては「興味を持ってもらう」ということ、商品を知りたい人には深く伝え、そのモノの「価格の理由」を納得させるということを行なっていたのです。

現在ではもうそのような訪問販売の営業を目にすることも少なくなったのですが、対法人の営業トークなどでその片鱗を垣間見ることも可能です。そのようにして「人が購入に至るまで」の「熱」を高める工夫をクリエイティブに込めることで、販促効果は一気に激変するのです。ずは自分がいくらの売上を出しているのかということを考える必要があるのです。

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